ニュースステーション、「最後の晩餐」2001年11月7日オンエア
余貴美子さんがニュースステーションの中の「最後の晩餐」というコーナーにて、 久米宏さんと10分間対談なさいました。
その様子を文章に致しました。お茶目で真面目な余さんの素顔をぜひどうぞ。
◆オレンジ色は余貴美子さんです。
◆紺色は久米宏さんです。
久米宏さんが窓辺に佇んで外を見ていました。手には紅茶が入っているらしきカップとソーサー。室内は木の梁、壁は無地でやや夕焼け色、窓は頭上からひざのあたりまでの大きさ、木製のテーブルと椅子、白いカーテンとテーブルクロス。森林の中のコテージを思わせる上品な空間。陽光が差し込み明るい雰囲気、爽やかな空気が漂っているかのよう。
そこへ、余貴美子さん登場。髪は首筋までの長さ、黒っぽいワンピースを着ています。
こんにちは。
と久米さんの背中へ静かに声を掛けます。久米さんが振り返りました。
あ、こんにちは。
と、そばのテーブルにカップを置く久米さん。およそ3mほど離れていた二人が、テーブルを挟んで近づき、お互いに「初めまして」と静かに会釈します。
よーきみこでございます。
よーって、伸びるんですか?
よ、きみこでございます。
久米さんと余さん、笑い合います。久米さんが椅子を彼女に勧めました。余さん、 笑顔で座ります。
ありがとうございます。
で、本当は、余(よー)と言われるんでしょう?(と座りながら)
あの、中国語でイー、って言うんですけど。
イーキミコ?
はい(笑顔)。
は〜あの、お父様が中国の方。
はい、父が中国人で母が日本人なんですけど、はい。
で、お名前ですけどね、僕、正式に読めるようになったのは、ここ3、4年ではないかと……。
あ、あの、皆さんも、いまだに「あまり」さんだとか、「よーき」さんだとか、いろいろ言われます。
よーき、みこ?!(苦笑)
(苦笑)そう……。
二人、笑い出します。
「上海バンスキング」に出てらっしゃった時、もう余さん出てらっしゃいました?
*「上海バンスキング」(1979年以降)オンシアター自由劇場の代表作
はい。
僕は……あ、かなり初期に拝見しているんですけど。
はい、あの、一番最初は、セリフも研究生みたいなもので、で、セリフがあったのは2年か3年後くらい、ずいぶんあとなんですけど。はい。
一生懸命やったんでしょ、一輪車乗りと……。
いろいろ皿回しとかね、あの、自由劇場ってサーカスみたいなことも芝居の中でやってましたんで、いろいろやらされましたね。
打ったりとかカナヅチとか、それこそ……。
大変です、はい、平台運んだりとか。
(montagnetteから説明:舞台装置を自分たちで作る場合、平台[およそ1間×3尺(180cm×90cmくらい)で高さは20cmくらいの平らな台]を運んで段差のある床を作ったり、舞台背景の書き割りなどを作るためにカナヅチを持ってクギを打つなどの作業をしなければなりません。平台は様々な大きさがありますが、女性二人でやっと運べる重さです。男性は一人で担ぐことが出来ます。お金のある劇団だと、舞台装置を専門で作る会社に発注することも出来ますが、上記の余さんの発言は、そのように注文するほどのお金も劇団には無かったので手作り装置であると表現しています。あまりお金のない劇団の場合、女優であっても大工さんのような役割を兼ねることも多々あります)
あまり、その、経済的な苦労とかしたことはおありだったんですか?
ほんとにあの、みんな貧乏で……劇団って何もないですからね。ほんとにもうヒトの情けで生きてきましたって感じで、生きてまいりましたって感じですね。
ここでおかみさんが麦茶らしき、ガラスのカップに入った飲み物を運んできます。
(久米さんに)こちらのおかみさん。
おかみさんが会釈します。場所は、東京・白金台、八芳園「壺中庵」でした。
ここの場所は……あの、余さんご指名なんですよ。お気に入りの場所。
壺中庵の建物の周囲はうっそうとした緑の樹木。
そうなんです。
こういうとこで酒呑んでんのか〜。
(笑)あはは、いや、それは一年に一度くらいですよ、たまーにですか。
強いんですってね、お酒。
(大きくうなずき)おかげさまでありがとうございます(と笑い出す)なんて、変な日本語でしたね(笑)。
女の人で強い人ってのはでも、メチャクチャ強いですからね。
お金無い頃はもう、一升瓶呑んでましたからねぇ、はい。
……(真顔)。
……(久米さんの表情に微笑やら苦笑やら)。
相手の男の人もうっかり誘っちゃったりなんかして……。
お金かかりますよね(苦笑)。
お金かかるよりそんなことよりも……なんとかと思って誘っちゃう男はですね、自分がなんとかなっちゃいますよね、その男が。
(うなずきながら苦笑)
気をつけよう(真面目)。……あの、中国の方っていうのは華僑って我々言いますよね。
はい、華僑ですね。
中国から裸一貫でみんな出て行って、世界中にばーっと出てって、とにかく、働きに働いて、一財産築いたり、ま、そういう方のご子孫にあたられるわけですけども、やっぱり働かざるもの食うべからずとか。
はい、言われましたねぇ〜。
(笑)
お金を稼がなければ……プロではないという認識でしたからね。でも、まあ、すごく深く真面目に物事を考えたら、きっと続けていなかった、もっと疑問がいろいろこう……錯綜して……辞めてしまってたかもしれないですね。自分がヘタだとか才能がないとか、そんなことすらも思ってませんでしたから(笑)ね。
ひょっとして血液型は……?
B型です。
やっぱりね。
え、そうなんですか(笑)。
ここで、映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」のワンシーンが流れます。
あの、ニュースステーションが始まったのは1985年なんですけど。
はい。
その頃ですか、劇団活動十数年おやりになって、区切りをつけて、少し映像の方の仕事してみようと……。
ほんのちょっとした役ですけどね、あの、殺されたり殺したり、通過したり。
出始めるようになってからテレビ・映画、すごい本数ですよね。
そうですかね(と静かな口調で)。
「学校V」に出てらっしゃいましたよね。
はい。
あれは、大竹さん、しのぶちゃん……が出てて、2、3回出てました?
ちょっと出てました。
何で分からないんだろうな〜。
いや、もう、ヘタくそで……もうそんな……(笑)駄目ですもっと勉強しないと。
割りとどんな役にもはまっちゃうって感じなんですかね。
そうですかね、あの、現場に行ってオバサンの役だったらスタッフは私を通り越して行っちゃいますから(笑)。ホントにオバサンに見えたらしくて(笑い出す)よくそういうことありますよ。
ん、で今は演じているわけではありませんよね。
はい。
二人の間に一呼吸。
この辺がよくね、実像と虚像って、ま、本当のこともあったり、どのへんかな、テレビ見ている人は特に女優さんってのはね、どんな私生活してるんだろうかとか、どんな生活感覚持ってるんだろうかとかって、女優ってだけでねぇ。
(目を細めつつ)まぁそこらへんでパンツ一丁で寝たりとか。
(目が点になる)
いつも普段は「イエ〜イ!」とかってやっている時の方が多いんで(笑)。
(笑い出す)
こういうふうにはいつも……ま、でもこういう感じなんですが……。
あの、この最後の晩餐っていうコーナーは割りと俳優さんが多いんですよね。
はい(笑)。
で、この、演ずるっていうのが一体何なのかってのがいつもおうかがいしててとても面白いんですけど。
ま、舞台は特にあの、実人生と一緒でやり直しが利かないということですごく怖いんですけど、やり方、方法とかも……変えてまた失敗もたくさんしてるんですけど、ま、共通のことはやっぱり錯覚の世界にいかに陶酔できるかっていう、その気になれるか、それだけかなという、だからま、少なくともそういうふうに思い込むというか、強引にでも力ずくでも思い込まないと。
あの……僕、22でこの仕事始めたんですけどね、結局あの、最初は駄目でね、胃が駄目になっちゃったんですよ、僕……(余さんは)B型、僕A型なんですけど。
(笑)
結構僕深刻に悩んじゃって。
はい……。
胃腸が全部駄目になっちゃって……それが治ったら本当にものが食べられなかったんで、結核になっちゃったんですよ。だから僕はこの仕事に(長い間)……、向いてるって言う周囲の人間が多いんですけど、向いてないんですよ、実は。
そうですか……?
向いてなかったから病気になっちゃった。
ん……。
(笑)向いてりゃ病気にならなかったんですけど。
(微笑)ん……。
で……無理矢理……向いてるように……しちゃったんですね、きっと。
(2,3度うなずく)
自分自身をだましたというか。
(真剣にじっと見つめている)
もう忘れてたんです。実は正直言うと。今、話してて思い出したんですよ。
なんか……生きてることも全部演技っていう感じですよね。あの、マルチェロ・マストロヤンニ(1996年死去。イタリアの俳優)、彼が亡くなった時にみんなで「ブラボー」とか「チャオ」とか、周りの方たちがお葬式なのに拍手してたって言うんですよ、それを見てた友達が。それってなんかすごいなあと思って。なんか、ブラボーって言っちゃう周りの人もすごいんですけれど。そういう死に方もすごいカッコイイなぁって気もするんですけど。
ん〜……。
外の樹木の葉が風に揺れています。
意外にあの……時間って経つの早いですよね。こうやって生まれて生きてみると。
はい。
僕もあっという間にねぇ、60年近く経っちゃって。いつが最後の食事になるか分からないんですけど、自分の意志で最後の食事を決められるんだとしたら、余さんは……よー、さん? よ、さん?
イー(笑)。
(笑)余さんは、どんなメニューを。
……あたしはあの……おむすびが好きなんで、選ぶとしたらゴージャスなものよりは、おむすびの方が幸せを感じる……回数も多かったんで、人がにぎっていただいたり、貧乏な時とか遠足とか、自分で朝ににぎったのもすごく幸せを感じるんで、おむすびをいただきたいなと……塩むすびが。
それは……おむすびをむすぶ時じゃなくて、食べる時に感じるんですよね。
そうなんです。なんか(右手でおむすびを持っている仕草)ありがたいっていうのと、あ、感謝っていうのがいっぺんに襲ってきて、幸せな感じがするんですよ、おむすびって。ほんと、大好きなんで。
母親がよくそう言ってたんですよ。
あ、そうですか。いや〜おむすびほんと大好きなんで、いつも仕事のお弁当の時もおむすび自分で作っていったり、買ってきていただくのもおむすびだったりとかするんですよ。ものすごく好きなんです。中身は何でもいいんです。
あの〜、ご結婚はしてらっしゃるの?
いえ、一度も。
言い寄る男もいなかったんですか?
いないですねぇ(ニッコリ)。
嘘だぁ〜!
(大笑い)いやホントに。
(笑いながら余さんをじっとニラんで)
壺中庵の軒先で久米さんと余さんが並んで座っています。余さんが三線を弾いています。沖縄民謡を歌っている時が「最高のぜいたく」とテロップが出ました。
あ、間違えました。ははは。
(笑)あはは。
もう一回やってもいいですか? あ〜もうすごい緊張する、ダメなんですよ!
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